In Focus: Japan Earthquake, One Year Later
This Sunday, March 11, will mark the one-year anniversary of the horrific earthquake that struck northeastern Japan, spawning an incredibly destructive tsunami that crippled the Fukushima Daiichi nuclear power plant. In the year that has passed, much has changed. Mountains of rubble have been cleared, but not fully disposed of yet. Nuclear power has fallen out of favor, and confidence in the government has been shaken. Japan mourns the confirmed deaths of more than 15,850 people, and still lists 3,287 as missing 12 months later. Questions remain about rebuilding villages, cleaning up the nuclear exclusion zone, and deciding the future of nuclear power in Japan. Collected here are recent images of those affected by the disaster, coping and moving on one year later.
仙台空港の復旧にあたった米兵が超感動したってやつ
日本人が礼儀正しいのは割とどこの国の人でも知ってる。

64:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/08(土) 09:35:05.82 ID:JFZwAxBr0
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いつも思うがなんでThank youじゃないんだろうww
68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/08(土) 09:40:59.29 ID:fvR3D5Gp0
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ガイジンでもコニチワ、アリガト、くらいは知ってる。
ぺらぺら喋れる奴も来てた。
自国の言葉の方が心情がリアルってのもあるし、あと文字数と手間の問題
83:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/08(土) 09:56:58.19 ID:WC0HvYF40
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行動力が凄いよな
http://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-256.html
| — | 日本SUGEEEEEE!ってなる雑学下さい。 : あじゃじゃしたー (via golhan) |
Photos: Japan tsunami, a timeline of the aftermath
Japanese photo agency Kyodo documented several sites of the Tsunami that hit Japan in March, 2011 in three month intervals leading to the six-month anniversary.
Photo: An area of Onagawa, Miyagi Prefecture, March 16, 2011 (top) after the area was devastated by the March 11 earthquake and tsunami, and its aftermath taken June 3, 2011 and Sept. 1, 2011, (bottom). (Reuters/Kyodo)shinoddddd reblogged nationalpost:
たとえば、効率的な作業を求める米軍側が「今、何をして欲しいのか言ってほしい」「こうすれば作業が捗るじゃないか」と要求するのに対し、日本側は「これをやって」とか「それは困る」ということがなかなか言えない。そのうち相手への不信感を募らせてしまう。
そんな中で、今回の作戦がうまくいった理由の一つは、米軍の中に日米のギャップの存在を理解してくれている人がいたことです。その一人、被災地派遣を上司に直訴して自ら仙台空港に駆けつけた海兵隊のコゼニスキー大佐は、部下たちに何度となく「ここはアメリカじゃないんだ。日本流でやろう」と言い聞かせてくれました。
(Yomiuri On-Line (読売新聞)から) 災害や飢饉や戦争の後、弔いとしての「祭り」が始まった、というのはよく聞いていたけども、この写真を見て初めてリアルに理解できた気がする。
NASA | Tohoku Tsunami Creates Antarctic Icebergs (by NASAexplorer)
在日デンマーク大使のメルビン大使が、異動となりました。メルビン大使は本国による東京からの避難退去命令にもかかわらず、被災地の子どもたちのためにとの一心から単身3/30東松島市を慰問するという行動により、その後のデンマーク王国と東松島市の交流の礎を築き上げました。つづく
つづき 6/14にはフレドリック皇太子の被災地慰問、それ以降もデンマーク企業による東松島市に対する長い期間での再生可能エネルギー政策の支援、国内デンマーク企業による寄付など今後の東松島市復興の基盤を築いてくれました。http://t.co/rF9iiRT メルビン大使ありがとう。
| — | Twitter / @HMfukko 東松島市震災復興本部 (via clione) |

「すいません!」
4月6日、大川小学校近くの追波川河川運動公園に設けられた宿営地内を歩いていた第14戦車中隊(岡山)の石井宣広3曹は、突如、背後から声を掛けられた。その可愛らしい声の主は、ワンピースを着た小さな女の子だった。少女は、振り向いた石井3曹にこう言った。
「これ、読んでください……」
石井3曹に封筒を渡した少女は、名前も告げずに走り去っていった。少女は、母親と思しき女性の運転する車でやってきて、偶然近くを歩いていた石井3曹に手紙を渡したのである。そこには、覚えたてのたどたどしい文字でこう綴られていた。
〈じえいたいさんへ。げん気ですか。つなみのせいで、大川小学校のわたしの、おともだちがみんな、しんでしまいました。でも、じえいたいさんががんばってくれているので、わたしもがんばります。日本をたすけてください。いつもおうえんしています。じえいたいさんありがとう。うみより〉
石井3曹は込み上げるものを必死で堪えた。「胸がいっぱいになりました……。あの頃は、発災から1か月が経とうとしており、疲れもたまっていたのですが、あの手紙で、『明日からも頑張るぞ!』と皆、勇気が湧いてきたのです。そして自分たちのやっていることが人々のためになっているんだ、とあらためて認識しました」
その後、この手紙は第14旅団長・井上武陸将補の陣取る女川の指揮所に届けられ、たちまち各派遣部隊に伝わった。
井上旅団長は言う。
「手紙を見た時は、もう体中の血が逆流するほどの思いでした。『よし、どんなことがあっても全員を捜し出すぞ!』という思いが漲ってきましたよ。うみちゃんは、どんな思いでこの手紙を書いてくれたんだろうと思うと……」
少女が自衛隊に寄せた『日本をたすけてください』という切実な祈りに全員が奮い立った。中には、手紙のコピーを手帳に挟んで災害派遣活動に励む隊員もいた。同県利府町の加瀬沼公園に宿営地を設営した北海道の第1高射特科群のある中隊指揮所にも、この手紙のコピーがボードに貼り付けられた。
SAPIO2011年8月17日・24日号
| — | 自衛官 勇気得た小学生の手紙|本当の日本の歴史: 2011-08-07 (via nandato) |
「店が壊されていく一部始終を見た。終わったと思った」。店には3万本近い既製品や泥まみれの印材が散乱していた。震災前から商売は厳しさを増していた。すぐに廃業を決意した。
しばらくして、親戚から印鑑を頼まれた。断ったが、知人らからも次々と依頼が舞い込む。市役所や銀行での各種手続きなど、自宅を流された被災者らが生活再建へ向け、印鑑を必要としていた。
「困っている人の役に立てるのなら」と、妻と手彫り用の「印刀」を泥の中から探し出した。18歳で修業を始めたときから使っている大切な道具。ピアノ教室に間借りした2畳ほどの仮店舗に、無事だった自宅から運んだ小さな机を置き、深夜まで印鑑を彫り続ける。
「自分も飯を食べないといけない」と言いながら、被災者には10~20%割引く。泥をかぶった認め印は洗って無料で渡す。交通手段のない人には避難所まで印鑑を届ける。手続きに行った市役所で注文品を受け取る客も多い。
震災から3カ月。最近は実印などに使う高級素材の注文も出てきた。「ちょっと落ち着いてきたのではないか。1人でも印鑑が必要ならば、彫り続けるよ」








